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いつの時代であっても、たとえ国が戦争の真っただ中で明日への希望が見えないとしても、歴史上絶対に失われなかったもの。その一つに「音楽」があります。

過酷な奴隷生活の中、奴隷たちには二つの音楽がありました。それは「ワーク・ソング(労働歌)」とそしてもう一つは「スピリチュアルズ(黒人霊歌)」です。ここからの解説は音楽に関する総体的なものですが、多くの民衆の生活の中から生まれた音楽をたったひとつの存在理由や目的などで語れるはずがありません。ですので黒人霊歌に関しては何ページかに分けて、それぞれの角度から研究されたさまざまな説に基づいて検証します。

まずワーク・ソングは農作業の際に歌われていたもので、通常はアカペラでまず一人がゴスペルのリードのような形で歌い始め、それを周りの他の労働者が追いかけるというものが主流だったようです。いわばゴスペルのコール&レスポンスであったり、よく映画の中でアメリカ海兵隊員がランニングをしながら歌っているようなものの原型だったのではないでしょうか?前回の「アメリカでの奴隷生活の一例」でも記しましたが、これらの歌は初期には白人にも好まれて、バンジョーをバックにコール&レスポンスをする躍動的なスタイルがパーティーなどでも披露されていたようです。

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1600年代アメリカにおける白人の入植者たちの多くは、非常に敬虔なクリスチャンでした。

彼らの多くは当時本国ではマイノリティとして迫害されていたプロテスタント教派が多く、逆にそれだけに宗教的自由に対しての強い願望を持っていました。また人生の新たな展開となるアメリカへの入植という過酷な将来に対して、それは単なる人生の選択ではなく、それぞれがみんなが「聖書の御言葉」に従った生き方として入植を選んだという連帯感にもつながっていました。

さてそんな心の支えであり、絶対的な道徳観・価値観の土台であったキリスト教ではありますが、白人入植者は黒人奴隷に対して「布教」という形で伝えることはしませんでした。コミュニケーションの要である英語でさえまともに教えようとしなかったのですから、キリスト教を信仰として伝えることなど初期にはほとんどなかったようです。

それではなぜ白人農場主は黒人奴隷に伝道目的以外にキリスト教を教え、独自の信仰を持つ奴隷たちを強要してまで改宗させる必要があったのか?それは道徳概念の統一と管理が必要であったためです。

まず道徳の部分ですが、西洋文化を有する白人クリスチャンと、母なる大地アフリカで暮らしていた人間が主従関係こそあれど同じ場所で行動を共にすると、行動ひとつをとっても意思や目的は大きく異なります。当時の白人にとってアフリカ人の行動の多くは理解しがたいものであり、また理解する気もありませんでした。ですのでまずルールとして白人の善悪の基準となっているキリスト教(聖書)をベースとした道徳を教えることにしました。

ただしあくまで管理目的であったため、そのキリスト教教育は非常に主人である白人に都合の良い形に捻じ曲げられていました。例えば「奴隷」に関しては、「聖書の中には奴隷についての記述があり、それは奴隷制を否定しているわけではない」、「奴隷は主人に忠実に従うことで神に認められ天国に入ることができる」。 こうした解釈を行うことで奴隷たちは自らの運命を受け入れるようになり、従順になるだろうと教会側も奴隷主たちも考えるようになっていったのです。

しかし教会にとっても白人奴隷主にとっても想定外であったことは、自分たちよりも知的レベルがはるかに劣っていると考えていた黒人奴隷が実はそうではなく、聖書の中に書かれている「神の下では誰もが平等である」という信仰の本質の部分を彼らが完全に理解していたということでした。奴隷主も教会も知らないうちに奴隷の間ではキリスト教は守るべきルールではなく、心のよりどころである「信仰」として口伝えで広まっていくことになります。
白人奴隷主によって強制的にキリスト教に改宗させられた黒人奴隷は、日曜礼拝に連れて行かれそこで聖書に書かれていることを学びます。集団生活のルールとして奴隷主の都合のいい形に歪められた内容ではありましたが、奴隷たちはそこで歌われた賛美歌を耳にします。アフリカから連れてこられた第一世代の人たちは英語で書かれた文字も読めませんから、教会で毎週耳にする賛美歌を口ずさむことから聖書の言葉に触れていきました。白人の牧師が語る言葉よりも、奴隷たちには賛美歌のほうがストレートに魂に伝わりました。

メロディのついた聖書の言葉は、奴隷たちの口から口へと伝わりました。それはルールの回覧ではなく、聖書の御言葉そのものの伝道でした。やがて彼らはその御言葉の数々を信じ、心の拠り所としていきます。特に「出エジプト記」に出てくるモーゼによって囚われた民が救われる箇所は、彼らの心をとらえ繰り返し繰り返し歌われました。しかし表向きには彼らは白人奴隷主にむけては従順にルールを学んでいるようにしか見せませんでした。

奴隷たちの反乱を抑制するため、白人奴隷主たちは黒人奴隷の集会を禁じていました。しかし独自の信仰観を持った奴隷たちは白人の目を盗み、皆が寝静まった深夜遅くに白人たちの家から遠く離れた森の奥などに集まり、自分たちだけの礼拝の時を持つようになりました。彼らが集まった場所は「Hush Harbor」と呼ばれる祈りの場所でした。一日の過酷な労働を終えた奴隷たちはそこでおのおのが神に祈り、歌い、踊り、人間としての真の自由を神に求めました。心から自分たちを解放してくれる救世主の到来を信じ、アフリカ人として継承してきた文化や伝統のスタイルで長い時間をかけて新しい賛美歌を作り出していったのです。これが黒人霊歌(Spirituals)です。

Hush Harborでの集会は危険極まりないもので、もし白人に見つかってしまったら過酷な罰を受けるであろうものでした。しかしその緊張感が逆に黒人霊歌の歌詞や音楽性の独特の深みを与えたのだと思います。隠れた教会による隠れた礼拝で、彼らは耐え難いほどの日常の緊張からの解放を求め、イエス・キリストによる解放の実現を歌いました。教えられた形式上の解釈ではなく、彼らの魂が心から求めたものが歌になった、まさにスピリチュアルズというべき心のサウンドの誕生でした。

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アメリカ東部沿岸にあったイギリス植民地領は本国イギリスによる植民地課税に反発、有名な「ボストン茶会事件」など、本国の増税をもくろむ様々な法の成立に対し、植民地商人の怒りは頂点に達しました。1775年、大規模な軍事衝突が始まりましたが、当時のアメリカ植民地には正式な軍隊などはなく、各植民地の民兵隊がイギリス正規軍と戦いました。戦況は数に勝るイギリス正規軍が常に有利だったにもかかわらず、ニューヨークやフィラデルフィアなどの都市を占拠したものの、当時のアメリカ植民地は広大な範囲に点々と独立自治的な植民地が点在していたため、どこを占領したとしてもあまり意味をなしませんでした。また疫病の流行により、天然痘の死者が戦死者を大きく上回ったりしたこともイギリスの敗因の一つでした。結果的に海を渡っての長期戦により戦況は徐々にアメリカ軍に傾き、1782年イギリス議会は停戦を決議、1783年のパリ講和条約により、正式にアメリカはイギリスからの独立を勝ち取りました。

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アメリカ独立戦争の頃から、徐々にではあったが奴隷制度は国全体と白人にとって好ましいものではないという考えが、北部の市民の間に広まっていきました。アメリカ北部は独立戦争の初期において戦地であったゆえに様々な産業が効率化し、綿やたばこ、砂糖のプランテーションを主力産業とする南部に比べ、奴隷の労働力をあまり必要とはしませんでした。逆にこれからのアメリカ合衆国にとって多くのアフリカ人を国に流入させることによる治安の悪化というリスクの方が大きいと考えたようです。

しかしこの考えは奴隷を自由にするというものではありませんでした。逆に南部の奴隷たちには独立戦争後に非常に大きな試練が与えられます。それは北部諸州が奴隷法を禁止して州内での奴隷売買を違法としたことによって北部の奴隷商人が大量の黒人を南部に売りつけたことや、綿織り機の発明により爆発的に成長した綿花産業が西部に拡大したことによって南部の奴隷たちが高額で西部に売られたことによる大移動です。この国内奴隷貿易と言う新しい市場が生まれたことで、約半世紀にわたり多くの黒人が強制的に移住させられました。

このことは多くの黒人奴隷たちに衝撃を与えました。暴力の支配と無報酬の労役があるとはいえ、南部プランテーションは成熟期を迎えており生活そのものは日々変わりなかったものが、ある日突然家族から引き離されてアフリカから強制移住させられた当初のように見知らぬ土地へと連れて行かれるのです。奴隷商人は黒人奴隷を個々に単体の商品として売買したがりました。ですので若い元気な男性、子供が生める健康な女性などは商品価値が高く、逆に年老いたものは軽労働しかできない価値の低い商品とみなされ安い値段でまとめ売りのようにされました。家族と言う結びつきはまったく考慮されないので、多くの者は引き離され二度と顔を見ることさえできなくなるわけです。また中西部は農地としてはまだ未開拓であったため、森林の伐採、開墾という重労働がメインで、しかも水や食料の供給も十分でなかったために多くの奴隷が命を落とすことになりました。



















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こんにちは。Everlasting Joy、S.M.S Gospel Choir代表のBee芦原です。このブログではゴスペルの歴史や聖書のことなどを僕の知識と参考文献からの引用から、わかりやすく解説できたらと思っています。専門家ではないので自己解釈で誤った記述もあると思います。お気づきの方はご指摘いただければ幸いです。

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